「誰に何を頼むか」の考察と飛行機で見た映画


この前のブログ(1月21日)に「明日」と書いておきながら、5月19日ですよ、今日は。

まず、1月21日の質問に関する考察です。
「誰に何を頼みますか?」で、「生きている人なら誰でもよい」「制限はありません」と書いているので、世界的に有名な投資家に投資をしてもらうでも、ジャンルは問わず内外の著名なプロに仕事を頼むでもよいのです。アーティスト、映画俳優、文化人、スポーツ選手、シェフ、人間国宝ほか各界の第一人者、もちろん複数に仕事を頼めばよいのです。
自分のためのサービスではなく、その人たちを活用したビジネスにしてもOK。

この回答で、回答者がどこまで柔軟に発想できるかがわかります。

イメージできないことは実現しにくいし、たとえ現時点では「夢物語」でもイメージできることは近づける、別の方法で実現する可能性もあります。
前回(といっても1月21日!)書いたように、いったん制限を外して「理想」「本当はこうだったらいいよね」ということを考えてから、今できることをやればよいと思います。

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さて、前回からの自分の動きで大きいのは、4月にアメリカ・ワシントンD.C.で行なわれた「2018 NAMA(ナショナルアンガーマネジメント協会)インターナショナルカンファレンス」に参加したことと、4月からネット新聞「長崎経済新聞」の制作を手がけていることでしょうか。気が向いたら、書きます(笑)。

ワシントンに行く往復の飛行機で映画を見ていたのですが、とくに印象に残ったのが、日本では劇場公開されていない「Thank You For Your Service」(アメリカ映画。2017年10月にアメリカで公開)。この言葉の意味は「国のために奉仕してくれてありがとう」で、原作は「帰還兵はなぜ自殺するのか」
イラクでの従軍生活を終えた青年たちのダメージがテーマです。体に致命傷を負ったり、心を病んだり、戦地に行っているあいだに家族や愛する人とさまざまなギャップが生じ、結果、自殺したり。

戦争は政治のひとつの手段であるのかもしれませんが、いわゆる「現代人」にとっては犠牲が大きすぎて、合理的ではないと感じました。
「戦友」という言葉もあるように、戦地では一緒に戦った仲間との友情を超えた「Brotherhood(兄弟愛)」が生まれやすい反面、その仲間を失ったときの喪失感、責任感は甚大ですし、「戦争」で失うものは本当に多いなあと感じました。

個人的には、政治の手段として戦争をしない日本、自衛隊が救助で感謝されたり、札幌雪祭りの雪像を作って喜ばれたりするほうがよいとつくづく思います。